VRと電脳がもたらす抽象化と、ネットワークに生きる私

VRと電脳による、抽象化と疎結合

VR技術が物理身体と物理空間の密結合を疎結合に転換し、人の存在と空間をそれぞれ抽象化して交換可能にしたのと同様に、脳に接続するプラグは、人の意識や感覚自体を抽象化してそれぞれ交換可能にするものであるのだろう。 2019/6/11 7:05

VRと電脳の技術的土壌

VRの文化は、地上を結ぶインターネットや、リアルタイムに光や視界をシミュレートするマルチコアの計算機技術や、2次元のモニタの向こうで豊かに育ったCG技術や、無償で提供される高度な開発環境などを土壌として、花開こうとしている。 2019/6/11 7:07

脳にプラグを挿入できる頃に、その土壌となるであろう技術について考えることにも意味はある。おそらく、より広帯域で低レイテンシのネットワークや、電脳による感覚や身体の拡張や、人体を越える高精度な義体の製造技術や、高度な再生医療や遺伝子操作を含むバイオテクノロジーの発展が要りそう。 2019/6/11 7:08

可換な時代の不可換性

個人と空間が可換となるVR時代には、より純粋にその人がその場にいる意味が問われるようになるのと同様に、意識や感覚が可換となる電脳時代には、その脳と感覚器やマニピュレータが繋がる必要性や意味が問われるようになるのだろう。 2019/6/11 7:11

機械に作られた「優しい」牢獄とSNSの類似性

もしかすると、現実世界と接続する必要はないと判断された脳は、シミュレートされた幸せな電子空間を孤独に、しかし本人から見たら自由自在に生きるようなケースも出てくるのかもしれない。 2019/6/11 7:12

それはSFによくあるディストピアな世界観ではある。しかしTwitterなどのSNSでたまに見かける、偏った世界観を持ってそういうネットワークの中に生きる人たちも、本人たちはたぶん幸せに、自分と近い意見を多く目にしているであろうことを考えると、荒唐無稽な話でもなさそうに思える。 2019/6/11 7:14

局所的なネットワークと井の中の蛙

かくいう私もTwitterで自分好みのノードの中に生きる端点の一つにすぎないし、見える範囲は広大に思えても、Twitter全体で見ればきわめて局所的なネットワークでしかない。人類全体の数百万分の一の、さらにわざわざ文字にされたツイートの断片を見て、それを世界だと思ってるにすぎないわけだ。 2019/6/11 7:15

それはたぶん実は現実世界でも同様で、私達は生まれてこれまで、多様な人達と出会って結果的に何らかのネットワークを築きながら世界らしきものを見ているわけだけれど、それは発生から終了までふつうはきわめてローカルに推移していく。 2019/6/11 7:17

相互参照とリンクの調整で生きる

そのネットワークの中で、個人が周りを知覚するのと同様に、相手からも参照されて評価されて、リンクを強めたり弱めたりしながら、自身の繋がる先を相互に自動調整しながら推移していく。それが、私達がネットワークの中で生きているということなのだと思う。 2019/6/11 7:19

孤独だけど、誰かは見ている

そういった意味では、人は誰でも孤独で評価に晒され続けるけれど、それは常に異なった観点で見てくれるノードの存在も示唆するし、自分も誰かにとってのそれであり得ることも意味するのだよね。 2019/6/11 7:21

ネットワークはあなたを定義する鏡

また、自身の周りの端点の集合も、きっとその端点自身の性格を色濃く反映するものであり続ける。言い方を変えると、自分の見ている世界はある意味で自分で育てたものだし、そう見ていること自体が、私達の事実上の世界を形作っている。きっと誰にとっても、周囲は自分の鏡であり続けるのだと思う。 2019/6/11 7:23

繋がるに足るノードであるために

私もいつか脳にプラグを挿した後にも、意味のある脳でありたいと思うし、接続されるに足るノードであり続けたいと願う。そのためにはおそらくネットワークと、何より自分自身を磨くことを続けるのが良いのだろうね。 2019/6/11 7:25

たぶん長い道程になるだろうけど、特段悲観してはいない。ありのままに前向きに生きたいものだと思う。例えるならば、私達の灰色の脳細胞の一つ一つが、おそらく自身の置かれた境遇を嘆くことはなく、いつか止まるときまでそこに在り、その役割を果たしていくであろうことと同様に。 2019/6/11 7:27